プロフィール

三宅 卓

1952年、神戸市生まれ

1952年 神戸に生まれる。北野の異人館の近所です。
昭和30年代は、まだまだ焼け跡などが残っている時代。
赤胴鈴之助などチャンバラ剣士や、月光仮面がスーパースターの時代でした。
遊びはもっぱら、「ちゃんばら」「缶けり」「ビー玉」「メンコ」エコロジーな時代でした!

中学から、親父の転勤で京都の北の舞鶴に移転
この頃の舞鶴はまだまだ田舎。神戸では学校の前で的屋が売っていた「めだか」「カエル」が、舞鶴では川に行けばとり放題!!
これが一番ショックでした。
テレビがNHKしか映らず、この頃からラジオの音楽番組に夢中
「9500万人のポピュラーリクエスト」でビートルズを聴いたときは、訳の分からない強い衝撃を受けました。

高校時代は、写真に目覚め「アンリ・カルティエ・ブレッソン」「ロバート・キャパ」になりたくて、カメラばかり触っていました。

で、当然大学受験は失敗。友人と一緒に京都の予備校に通う為に学生下宿屋の「虎陽荘」に下宿。

ここで、幸いにも(不幸にも?)、安原、斉藤、瀬野など生涯の友人に恵まれ、予備校に行ったのは最初の1週間だけ!後は、夜を通して、音楽、文学、人生、恋愛、など酒を片手に語り合い、下宿の朝食を食べてから熟睡すると言う、人生最高の楽園生活で正常な生活が不可能な人間に改造されてしまいました。

その勢いを駆って大学入学後も「プロの写真家になる!」との幻想が消えず、暗室に篭りっきり。お陰で、社会に出たのは1浪人2留年の3年遅れでした。
その頃、写真のテーマにしていた「人間疎外」を解決するツールがコンピュータと信じ、コンピュータ会社のオリベッティに就職。

1977年、日本オリベッティ入社

オリベッティでは、工学部出身だったのでソフト部門を志望するも「ソフトの才能が無い!!」と言われ、1年で営業に出されてしまいました。
新卒営業は、当然ユーザーは与えられずに「飛び込み新規開拓部隊」ですが、そこでの上司(鬼の営業課長)が今の分林会長です。

1991年、日本M&Aセンター入社

分林課長の下で、「会計事務所営業」を6年、その後、分林学校を卒業して金融機関に「融資支援」や「国際業務」のシステムの企画、販売を行うビッグビジネスを7年やりましたが、名古屋の金融事業所長をやっているとき、分林が名古屋にセミナーで訪ねてきて夕食を一緒にとりました。

夕食の席で、「今度、後継者問題を解決する為にM&Aの会社を設立するつもりだ」と言う話を聴き、これはぜひ参加したい!!と肉体的に感じて「ぜひ私も参加させてくださいよ」とお願いしましたところ、「ちょうど都合が良い!!全国の税理士・会計士をネットワークするので全国展開が必要なのだ。では俺が東をやるから、お前が西をやってくれ」という事になって参加できることになったのです。ちょうど38歳のときです。

当社の会計事務所ネットワークは、分林が営業時代からの約40年のお付き合いで出来上がったものですし、地域金融機関のネットワークは私が金融機関営業をやっていたときからの20年以上のお付き合いで出来たものです。
その当時の地銀の担当者も今では役員に昇格しており、本当に長い付き合いでお互いに成長してきたなあ、と実感しています。

趣味では、「写真」は昔欲しかったライカ、ハッセルブラッドをいじる程度ですが、音楽はますます好きになり、レコード、オーディオ、楽器、バンドと音楽三昧の生活を送っています。

バンド名は”NOCOBA”、ノン・コンセプト・バンドの略です。
メンバーが、ビートルズ系、JAZZ系、イカスバンド天国ロック小僧系、クラシック系、湘南系とバラバラなので、統一したコンセプトがないのです。
「私は何を担当しているかって?私は、エレキベースを担当しています。」

日本M&Aセンター代表取締役社長 プロフィール